安田章大という人間
俺節の感想が全然まとまらないので後回しにします。そうです、私はポンコツです。
どうしてこんなに感じたことを上手く言葉にできないんだろう!だからと言って私には歌にする術もない。10年も音楽教室に通ったけど鍵盤は好きになれなかった。楽譜もまともに読めない(10年も何してたんだよ) 。なんなら絵もやばい。いわゆる画伯だ。まるでアートの才能がない。とても残念だ…。
章ちゃんを見ていて感じることがあるので書いてみようと思います。
個人的見解なので批判は受け付けません。勝手に お前わかってねーな と思ってくださいそしてそれを口に出さずに心にしまってください(ガラスのハート)
でも共感してくれたり 自分なりの考えをくれるのはとても嬉しいので、ポジティブなリアクションであれば大募集です。何かしらの形で反応ください(欲しがり )
さて。
まず私がなぜこんなに章ちゃんを語りたがるかというと、彼のことを観察や分析するのがめちゃめちゃ楽しいからなのです。これはシンプルに、私にとって魅力的 という意味です。
関ジャニ∞のことはみんな好きだ。あの7人の織りなす絶妙な言葉選びや試合運びが最高に好きで、何よりちゃんと楽しんでいるのが良い。けど何故だか分からないけどどうしても私は安田章大という人間が気になる。
1人に絞らないといけない制度にあまり意味を感じないし、〜担という言葉には少し抵抗があるので自ら 安田担です と言うことはほぼほぼない。あまり仲良くない知り合いからの、誰担なの?という質問に対して 担当なんて決めなきゃダメですかね?などと語るのが面倒でそう答えたことはあるけれど、本当はあまり言いたくない。
だいたいいつも、関ジャニ∞自体が好きなのになんでそんなこと言わなきゃいけないの!?と思っている。
だって歌声が1番好きなのは丸ちゃんだし、1番見た目が好みなのは横山さんで(ゆっこは闇を抱えてるっぽい人が好きです)、でもスポットライトを浴びるような場面で1番に目がいくのは大倉さんだ。
でも最終的にいつも1番私が気になるのは安田さんなので、ジャニオタたちの言う担当ってきっとこれのことなのだろうというのはなんとなく思っている。
以前私はTwitterで
"優しい"と言われる安田さんだけど、自己主張はハッキリしているから 自己主張の方法として自己犠牲を選んだのではないか というようなことを書きました。
私の身の回りの人からイメージする優しい人は どちらかというと良い妻みたいな人が多くて。一歩引くというか。
でもなんていうか、章ちゃんのそれは そういう優しさとはなんか違う感じがするし、正直私はあまり安田さんを見ていて優しいと感じたことはない。
優しい というか
果てしなく視野が広い んだと思う。
バンド演奏している時、周りの人とアイコンタクトを取っている章ちゃん イメージ容易だと思います。
ダンスリハの時 他の人の動きまで見えている章ちゃん(丸ちゃんに 今ちょっとできたやん!っていってるとことか) 記憶にあると思います。
いきなりドッジで机の上の水滴?や 落ちてきた亀を並べたり 何かと周りを綺麗にし始める章ちゃん 記憶に新しいと思います。
そう、彼は視野が広いのだ。
いつだって余裕がある。きっと求められたらいつでも笑える人なのだと思う。
これは優しさとはまた別の話で、本人が意識してそう見せているのかは分からないけど 自分のことでいっぱいいっぱいになっていないだけなのだ。もちろんそうなるために並々ならぬ努力が必要なのは分かっている。だからこそ好きだ。
以前章ちゃんは
相手の求めているもの・いま足りないもの そういうスペースをみつけてその隙間埋めるのが上手だ
とツイートしたことがあるのですが
これも視野の広さから発展して感じたことです。見えている からこそ、相手の求めているものやいま足りていないことが分かる。そしてその隙間を埋めることに徹することができる人間である。
たぶんそれが周りの人に優しさとして受け取られているのではないかなあ、と。
だからこそ彼にとって 自己犠牲 はきっと 自己主張 でもあるんだと思う。
でも私が1番感じているのは、広大な視野を誇る彼の盲点が時々、"自分" であること。(笑)
あの人は周りの環境を優先しすぎて自分が後回しになる典型的な例だと思う。外面が良い ってやつだ。楽屋を掃除したり いきなりドッジの机や床を綺麗にしたりするくせに自分の家は汚いのが良い例でしょう。(笑)
どうか自分のことももっと大切にして欲しい。シンプルだけど、まとめるとこれが私の本音かなと。でもやっぱりそういうところが好きだったりするから、このままでいて欲しいなとも思います。
歌やギターの才能、天然っぷり、可愛い安田、黒い安田 についてはもう今書く気力も語彙力もないのでまたいつか機会があれば…(笑)